2017年10月8日日曜日

間違えていたことを批判してはならない

間違えていたことを批判してはならない。批判しないことをもって科学の仮説ができ進んでいく

間違えていたことを恥じることもない、むしろヒントをあげたと図々しく開き直るくらいがいいのかも。
そして周りは間違えたこと自体を批判してはならないし、人格まであげつらうのはもってのほか。

明らかに解釈が間違っているのなら、間違っていたことを諭すのはアリ。
ただし明らかに間違っているとはいえないもの、正解がなく、見解の相違でしかないのなら、お互いに異なる捉え方をしているだけなのだと、どちら側も冷静沈着に対応すべしだし、見解の相違を重大視しなくてよい、あ、違うんだねという認識だけを共有しておけばよくて、理解できなくても、お互いの立場、理屈、論理を認めるべき。

でないと多様性が欠如するし集団思考になってしまう、危険である、ただの単一思想集団になってしまう。

あの人の見解は理解できない、納得できないと吹聴するのはナシ。
他者を攻撃する立場になると、ますます周りは寄ってこなくなる。
そして孤立化ガラパゴス化して、環境の激変に対応できなくなる

一方で、同じ集団として行動していくなかでの理念、行動様式、規範は揃っておかないといけない。
(それを広く体系的にまとめたのが法律や規則)
理念が揃っていないと、同じ集団で行動している意味がない(個の力の足し上げでしかなく、全体が勝る状態にならない)。つまり生産性が低い。


古代ギリシャの哲学者アリストテレスの名言「全体は部分の総和に勝る」





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