続く選挙を前に欧米メディアが懸念する「CA社」の動き
2016年は2つの大きな政治イベントが大方の予想に反して「ポピュリズムの勝利」という結果となった。英国のEU離脱の是非を問う国民投票と、米国の大統領選だ。反移民および反エスタブリッシュメントに訴え、事実に反するスローガンを織り交ぜたキャンペーンは、「理屈」より「情感」に訴え、成功したといえる。国を二分するようなプロパガンダによって誕生したトランプ新政権は、国際政治に何をもたらすのであろうか、未知数だ。
英国のEU離脱キャンペーンと米国の大統領選挙、英米で展開されたこの2つのキャンペーンには多くの共通点が見られた。その1つが、両方のキャンペーンにあるITデータ会社が関与していたということだ。欧米のメディアではこのことが大きく取り上げられた。
■心理分析に基づく広告手法
テクノロジーの進化は、選挙戦略に変革をもたらしている。1996年の米国大統領選では候補者のホームページができ、2004年にはネットで選挙キャンペーンのイベントが公示されるようになった。2008年はソーシャルメディアが活用され、候補者が大勢の有権者たちと意見を交換し、小口の献金が容易にできるようになった。そして、2012年のオバマの選挙戦ではスマートフォンが普及、ビッグデータを使った最初の選挙ともなった。
4年前のオバマの選挙戦略と、今回のトランプの選挙戦略で決定的に違ったのは、トランプ陣営がビッグデータに心理分析を加え、迷っている有権者たちに、心理分析に基づく個別のマイクロ広告が送られたことだ。その手法が「発見」されたのは、5年前のことであった。
2012年、英ケンブリッジ大学の研究チームがある研究発表をした。研究はフェイスブックの「いいね!」ボタンの結果を68個ほど分析すれば、その人のプロフィールが大体浮かび上がるという内容のものだ。人種、同性愛者であるか否か、民主党か共和党かなど、どれも高い確率で確定することができる。しかし、分析はそこで終わらない。
「いいね!」ボタンを150個、300個と重ねて分析していくと、学歴、知能程度、宗教、酒やたばこを好むか、麻薬を使っているかということから、21歳までに両親が離婚しているかどうか、といったことさえわかるという。
さらには、誰と恋愛関係にあるか、誰が結婚相手であるかということも判明し、カップルの共通の友人関係やスマホでの電話記録、テキストメッセージやソーシャルメディアでの発信内容などを分析すれば、2カ月以内に2人が別れる確率も50%の的中率で予想できるというのだ。
分析の基本は、5つの要素による人格分析である。その5つとは、開放性、誠実性、外向性、同調性、神経症傾向、いわゆる心理学でいう“ビッグ5”(あるいはOCEAN)を基準とした心理統計学(サイコメトリックス)で、コンピューターを用いて分析するものだ。つまり人間の心理、性格を数値化するものだ。
心理学でいうビッグ5は決して新しいものではなく、1980年代からコンピューターによる分析が進められている。1999年から2006年までの間だけでもビッグ5に関する2000以上の研究が報告されてきたが、ケンブリッジ大学の研究は、フェイスブックのデータに注目したところが目新しい。
この研究が発表されると、研究所のメンバーに英国のあるIT企業から協力要請があった。
その会社はSCL社という「情報コミュニケーション企業」だった。会社名を検索してみると、得意分野が「心理分析による選挙キャンペーン」とあり、親会社が軍需産業のひとつとして、イラクやアフガニスタンでサイオップ(心理学を応用した作戦)を使う「IT情報企業」だという。
研究チームのリーダーだったミケル・コジンスキーは悪い予感がし、研究所の所長に相談した。コジンスキーが一番懸念したことは、自分たちの研究が何らかの形で「悪用される」ことであった。懸念は現実のものとなり、この時点ですでに大学の同僚がコジンスキーの研究を「コピー」し、SCL社に売っていた疑いが、のちに判明した。
コジンスキーは研究所を辞職し、カリフォルニアの大学に移籍した。ところが移籍の1年後、トランプが大統領選で勝利したことで、コジンスキーに対する非難が殺到した。彼の研究をもとにしたと思われるデジタル戦略が、英国のEU離脱と米大統領選挙キャンペーンで“利用された”と指摘する専門家が何人もいたからだ(スイスの雑誌、Das Magazin,2016年12月5日号より)。
https://www.dasmagazin.ch/2016/12/03/ich-habe-nur-gezeigt-dass-es-die-bombe-gibt/
■「ケンブリッジ・アナリティカ社」としてトランプ陣営に
トランプの勝利後、大統領選挙キャンペーンで注目されたのは、ケンブリッジ・アナリティカ(CA)社の存在だった。CNNをはじめ、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ウォールストリート・ジャーナル、CBS、ABCテレビなど、米国のメジャーなメディアが一斉に、心理分析にビッグデータを応用したIT企業が、トランプの選挙キャンペーンに参加していたことを取り上げた。
前述のSCL社はその後、社名をケンブリッジ・アナリティカ(CA)社と変更していた。なお、ケンブリッジ大学とは関係がない。
コジンスキーは、現在も、自身がケンブリッジ大学に在籍中に発表した研究が、CA社によって無断でコピーされたと主張している。しかし、CA社はコジンスキーの主張を否定し、独自に有権者の心理分析方法を開発したと述べている。
■個人の心理分析が選挙でも利用された
すでに広告の世界では、ビッグデータによる消費行動の予測が研究され、実用化されてきた。
いまや金融、保険、マーケティングだけでなく、政治や犯罪捜査に欠かせないツールだ。日々、進化しているビッグデータは、データ量が多いほど正確になり、予想的中率が高まる。
現金利用が少なくなり、消費活動がネット注文、クレジットカードやメンバーカードで行われることが多くなった米国では、消費者の行動を追跡・集積しやすくなった。消費者保護を専門とするある弁護士によると、米国のデータブローカーの大手、アクシオム社は、世界中で7億人分のデータ、年間500兆件の消費活動データを保有しているといわれている。
消費者の行動を先読みすることをある程度可能にするのがビッグデータであるとすれば、有権者の行動も消費者と同様にとらえることも可能だ。どのようなテーマに関心を持ち、どういうことに対して不満を持っているか、宗教は何か、また信心深いか、友人はどういった人か、銃を所有しているか、不動産を持っているか、移民が増えることに対して不安は持っていないか、精神状態は安定しているのか、家族生活はどうかといったことだ。こういった個人の心理を分析することが、トランプの選挙キャンペーンで応用されたのである。
なによりも選挙チームにとって有効なのは、心理分析を加えることで「どういうグループが説得されやすいか」がわかるようになったことだ。心理分析を取り込んだビッグデータは、「特定の人格を持った人の検索」を可能にした。
■大統領選の3カ月前からCA社が参画
近年の選挙では、2人の対立候補への支持者がほぼ均等に分かれ、僅差で決まることが多い。米国の有権者も、選挙ごとに投票する党を変える「スイング・ヴォーター」をめぐり、選挙の最終段階ではどちらにでも移行する可能性がある票を獲得しようと熾烈な戦いとなっている。
米国では大統領選挙を3カ月後に控えた時点で、共和党選挙対策本部で3つのデータ企業が対策を練っていた。そこに、新たにCA社のデータ専門家が加わった。
9月から選挙キャンペーンが本格化すると、選挙チームはトランプの選挙サイトや広告を10万種類用意した。ターゲットにしたのはミシガン州やオハイオ州など、自動車産業や鉄鋼業が衰退している「ラスト・ベルト」と呼ばれる地域。選挙ごとに票を投じる党が代わる浮動票が多い、非都市部白人の有権者たちに注目した。
さらに力を入れたのが、どちらの候補に入れようか迷っていると思われる、女性や黒人などの有権者たちに対する「投票抑圧オペレーション」だった。例えばヒラリーに対して好意的でなかった人々をビッグデータを使って「検索」。電子メールなどで、そういった人々に、投票の棄権を後押しするようなメッセージやマイクロ広告を送った。
また、選挙チームは心理分析のデータに応じて、数種類の「投票抑圧広告」を用意することで、選挙キャンペーンにうんざりした有権者が投票に行く意欲をそぐ方法を用意していた。
ターゲットにされた「説得される可能性がある」有権者のグループが多く住む地域では、人気テレビ番組の間に選挙広告を織り込んだ。それは、「トランプに投票してください」とあからさまに訴える広告ではなく、対立候補のヒラリーへの偏見を高めるような心理広告だ。ネット上のニュースフィードでも同じような動画広告を送り続けた。
例えば、あるビデオ広告はこうだ。ヒラリーの選挙広告の撮影現場で登場する女性の黒人が「ヒラリーは、正直で信用できる……ちょっと待ってよ、こんなこと言えない」と言う。それに対して「だって君は女優じゃないの」と言う声がすると「でも信じてないことなど言えない」とその女性は席を立ち、「ヒラリーが正直で信用できるなんて、いいかげんにしてよ」と言う。こういった広告を黒人女性の有権者に送るのだ。
ダイレクトメール、テレビ広告、スマホ向けのメッセージなど、有権者へのアプローチの方法を決めるにもビッグデータと心理分析が役立だった。
訪問勧誘の際は、独自に開発されたアプリであらかじめ訪問先の人物プロフィールを見て、どう話を進めるかなど、有権者のタイプ別に、セリフも用意されていた。
トランプ勝利後、CA社のアレクサンダー・ニックス社長は、独ハンデルスブラット紙のインタビューで、「CA社は米国人有権者2億3000万人に関するデータを持っている」と豪語し、「プロパガンダはいつの時代もあった。2億人の有権者を説得するのは難しいが、接戦では少人数をターゲットにしたマイクロ広告の効果がある」と語った。
■大統領選など控える欧州は「警戒」
2つの選挙キャンペーンでポピュリズムが勝利し、その背景にCA社のような会社の影響があったことに対し、ドイツの公共放送ARDやフランクフルターアルゲマイネ紙(FAZ)など主要メディアは「フェイスブックをもとにした心理学分析によるプロパガンダ」がドイツでも行われる恐れがある、と大々的に報道した。
ニックス社長は、「選挙キャンペーンの専門家、データサイエンティスト、そして心理学者を備えた戦略は、これからの選挙キャンペーンに欠かせない、請われればどこへでも参じる」とハンデルスブラット紙で語っている。
2017年はフランス、オランダ、ドイツと、EUの中核を成す国々の総選挙が控えている。この3国では、民主主義の脅威となるポピュリズムが選挙結果に影響を及ぼすのではないかと警戒されている。
ドイツのメルケル首相も9月の連邦選挙に向けて「偽ニュースやソーシャルメディアにおける操作」に対して警告している。ロシアによるソーシャルメディア操作、ハッキングも懸念され、個人データ保護が強化されるよう、ドイツ政府はEUにも働きかけている。
フェイスブックに対しては、昨年、ヘイト・スピーチと思われる発言や偽ニュースが流布したということで、ドイツ人の連邦議員やシリア難民が訴訟を起こしている。このことを受け、フェイスブックをはじめとするソーシャルメディアに対し、偽ニュースと判断された書き込みやシェアは、24時間以内に消去しなければならないという義務が、EU指令によって課せられることになった。
CA社は、フランスの右翼マリーヌ・ルペン、ドイツで急躍進しているドイツのための選択肢(AfD)党など、大衆操作を狙った右派ポピュリストの選挙キャンペーンに加担する可能性があると指摘されている。有権者の心理的な弱点や不満を利用するとも指摘されているのが、CA社の得意な手法の一つだからだ。
AfDは、党の支持者が実際より多く見せるための操作も行っていると言われている。それは、ボットによるコメント増、少数の人間が複数のフェイスブック・プロフィールを使ってAfDのメッセージを増やしているといったことだけではない。フェイスブックの「いいね!」ボタンを仲介業者から「買っている」という疑いもある。
フェイスブックの「いいね!」ボタン、ツイッターのコメント、ユーチューブのアクセスクリック数など、「ソーシャルメディア対策」として、ファン数を増やすため、例えば、「いいね!」ボタンを数日のうちに1000個売る「IT業者」がいるのである(ドイツの公共テレビ局、ZDFのドキュメンタリーより)。
https://www.zdf.de/dokumentation/zdfinfo-doku/hass-100.html
AfDの「いいね!」ボタンやコメントなどを分析したある研究者は、シェアリンクや書き込みが、米国で行われているものだと指摘している。その背後にはトランプ支持者も多く、右翼の支持者は他国の右翼も支援するという、まさにポピュリズム・インターナショナル的な動きが認められるという。
フランスとドイツは個人情報保護が米国より厳しい。特にドイツはメディア操作とプロパガンダによる選挙で独裁政権が成立したという苦い歴史の経験を忘れていない。ドイツではヘイト・スピーチに対する法律も厳しく、公の場で右手を高く上げるヒットラー敬礼は、民衆を扇動しているということで、刑法上、罰せられる対象となる。
難民の流入やテロの危険を利用した偽ニュースやプロパガンダ、ヘイト・スピーチによる大衆操作に対してどう対応するべきか、民主主義が最大限に試される選挙となることであろう。
(文中敬称略)
福田 直子
東京生まれ。子供の頃、ワシントンDCで過ごす。大学卒業後、ドイツの大学(エアランゲン大学)にて政治学・社会学を学ぶ。帰国後、外資系企業、新聞社を経て出版社に入社。ニュース雑誌の編集者としてワシントン情報などを担当。著書に、『大真面目に休む国ドイツ』(平凡社)、『日本はどう報じられているか』(新潮社)など。近く『観光コースでないワシントン』を出版予定。現在フリーランス。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/012000544/?P=1
(2017年1月メモ)