2011年12月11日日曜日

心理学は何の役に立つ?

「決定論的な」科学と「確率論的な」科学

決定論的な科学
物理学や科学のように、因果関係が必要条件や十分条件を構成するような、きちんとした現象を研究対象とするもの。例えば、一定の質量をもった2つの物体間の重力を増加させるためには、それら2つの物体をより近づけてやることが必要十分条件となる。

確率論的な科学
心理学や経済学のように、一般に原因とされるものが必要条件でも十分条件でもなく、完全に予期することが不可能であるような現象を研究対象とするもの


確率論的な科学を学ぶことの利点
決定論的な科学を教育するよりも、確率論的な科学を教育する方が有効である。
例えば、配偶者の死去は、残された夫や妻の健康をも損ねる原因となることが多い。しかし、残された夫や妻の誰もが健康障害を被るというわけではない。また、まったく別の原因によって健康を損ねることもある。つまり、配偶者に先立たれてしまうことは、健康を損ねることの必要条件でもなければ十分条件でもない。
同様に、容姿が優れている人は、一般に他人に好まれることが多い。しかし、美しい人誰もが人に好かれるわけではなく、容姿だけが他人に好かれるための条件であるわけでもない。

このように、ふだんの生活における現象というものは、確率論的な科学が研究対象としているような不確定性の現象なのである。言い換えると、統計学的な回帰や、標本の歪みや、統制群の重要性などが特に問題となってくる。

そこで、こうしたタイプの科学(確率論な科学:心理学や経済学)を学ぶことこそが、日常的なできごとを正しく評価するための心の習慣を育てるのに最適であると考えられるわけである。(T・ギロビッチ「人間この信じやすきもの」より)


【教訓】
確率論的科学の有用性。
心理学は、他人の心の中がわかるから役に立つのではなく、確率論的な複雑な世の中の事柄を正しく理解するための方略を与えてくれるから役に立つのである。

2011年12月8日木曜日

専門家が言うことは信じてよい?

(1)専門家と言われる人が、本当にその領域の専門家ではない場合がある。
(2)専門家の数は思ったより少ない。
(3)専門家にもよくわからないことが多い。そもそも、科学にはまだ解明できていないことの方が多い。

心理テストが専門の心理学者の数は多めに数えても100名程度、少なめに数えると両手で足りるくらいである。
村上宣究「最新コンピュータ診断性格テスト」日刊工業新聞社¥1,700


科学を学ぶことの利点
科学的な思考過程や科学的な概念に慣れ親しむ。科学者達は常にわからないことの壁にぶつかっている。科学について学べば学ぶほど、どんなことが「解明されていない」かがわかってきて、説明されていることの多くも、暫定的なものであることもわかってくる。こうしたことはどれも、物事がどうあるべきかという主張に対する健全な懐疑心を養うのに役立つ。こうした一般的知的警戒心、すなわち、謙虚になって、物事を本当に知ることの難しさに気づくことこそが、科学的研究に参加することの重要な利点なのである。
(T・ギロビッチ「人間この信じやすきもの」より)


【教訓】
専門家は疑ってかかれ。
専門家が本当にその分野の専門家とは限らない。
本当の専門家は少ない。
本当の専門家でも、わからないことの方が多い。

2011年12月7日水曜日

体臭恐怖を訴える患者の悩み

「この服似合う?」と聞かれて、「うわぁ、全然似合わない」と言えるだろうか?

社交辞令:大人のつきあいでは、本音は言わないということ。

うわさ話:直接本人に言えない反対意見や批判がうっ積するのを解消するための「抜け道」として使われる。

ディベート:人と意見とを分離して、物事を両面から考える習慣をつけるために有効なゲーム形式の討論。特定のテーマについて機械的に賛成派と反対派にわかれ討論した後、審判が勝ち負けを決める。

討論=本音を口にする、ではない。


【教訓】
疑問に思うことは子どもに聞け(例:おじさんの息くさい?)。
他人は面と向かって反論しないものである。
「逆の場合を考える」方略を用いる習慣をつける必要がある(ディベートの効用)。
ディベートをもっと教育に取り入れよう(でないと社会に出てから苦労する)。

2011年12月6日火曜日

テレビは常に正しい?

東スポやテレビのワイドショーは、事実よりもおもしろさを優先させている。

テレビ局の大株主は電力会社である。
「真実でなかったら、テレビで放送されるはずがない」
本当のことはテレビでは放送されない。

本当のことのすべてが放送されるわけではない。本当のことの一部だけを放送し、他を隠匿することはセーフ、と思っているフシもある。無知蒙昧な大衆どもにわからないことを言ってもしょうがない、我々が適切に選別してあげているのである、と思っている人が今だにいる。

原子力発電に関するウソ
False:原子力は石油に変わる未来のエネルギー
True:原子力で得られるエネルギーより使われるエネルギーの方が多い

False:原子力発電は安全
True:原子力発電の技術は未成熟

False:放射性廃棄物は安全に再処理される
True:「再処理」とは放射性物質の毒性を消すことではなく、さらに危険な物質を作ること

False:電力は不足している
True:電力は余っている

False:電力会社は公共企業であり、利潤が法律で決められている
True:電力会社は私企業であり、独占により莫大な利益を上げている

False:巨悪はマスコミが放っておかない
True:巨悪はマスコミを支配している

参考図書:広瀬隆「新版:危険な話」新潮文庫¥540
室田武「原発の経済学」朝日文庫¥600


話された嘘と話されない嘘:大学入学の事実がないのに、「明治大学中退」と言うこと。ヤミ献金を受けていても言わないこと。

誇張と省略:話をおもしろくしたり、わかりやすくするためには、誇張と省略が不可欠である。

世論調査:約3,000人の調査対象を無作為抽出しておこなう調査。統計的な理論によって3,000人について調べれば、最大で±2%以内の誤差で母比率が推定できることがわかっている(推定の精度を2倍にするためには調査対象の数を4倍にしなければならない)。


【教訓】
情報源をよく確かめよう。
事実を信じ、予測は疑え。
誇張と省略に目を光らせよう。
生の証言にだまされるな。
マスコミにだまされるな。

2011年12月5日月曜日

牛の糞は正義の味方?

猿蟹合戦で、猿をこらしめたのは、臼、蜂、栗、そして牛の糞である(良いお話にするための改作)。童話の原作を調べてみると、残酷な終わり方をしているものが多い。
「ピノキオ」における結末の改話など


【教訓】
人は「良い話」をしたがる。

2011年12月4日日曜日

ジンクピリチオン効果

「ジンクピリチオン配合」
虚心に、この言葉だけに耳を傾けなければならない。そしてそうすれば、あなたは必ず思うはずなのである。なんだか、すごそうだ。(中略)
ジンクピリチオン。この言葉から想起されることはまず第一に、何だそれ、ということである。次に、ややこしい名前だなあ、と思う。そしてついには、こんな舌をかみそうなものの名をあえて言うのだからきっとそれはすごいものなんだろう、と思うわけである。まさしく、あなたの判断は正しいわけである。それが何であるかということはわからないし、わからなくてもいい。しかし、そんなへんてこなものの名をどうしても言わなければならなかったその理由は、それがすごいものだからなのである。もう、これが配合してあると聞いてしまった以上、人は、よいものだ、と思うしかないのである。
ジンクピリチオン配合。そう聞いたら、へへーっと平身低頭して尊敬してしまうほかはない。(清水義範「インパクトの瞬間」:「永遠のジャック&ベティ」講談社文庫所蔵)


グライスの会話の公準:社会言語学者グライスが見いだした会話成立のための暗黙の前提のこと。以下の4点からなる。
(1)量の公準:必要な量の情報を与え、必要以上の情報を与えないこと
(2)質の公準:真実だけを話し、間違いや根拠の不十分なことを言わないこと
(3)関連性の公準:会話の目的に関連することだけを言うこと
(4)語法の公準:明瞭に話し、あいまいで冗漫な語法を避けること

一般意味論:言葉の正しい使用のために言葉の意味について論じた啓蒙運動
参考図書:ハヤカワ「思考と行動における言語」(原著第4版)大久保忠利訳 岩波書店¥2,000


【教訓】
暗黙の前提を悪用した表現に注意する。
地図は現地ではない。言葉は現実ではない。
私たちは、人づての情報に対して、十分に懐疑的であるべきである。

2011年12月3日土曜日

妊婦になると少子化が信じられなくなる?

こんなにまわりに妊婦がいるのに。。。きっと最近出生率はまた上がり始めたんだわ。。。

(1)行動範囲、行動時間帯が変わった
産婦人科やベビー服売場で多くの妊婦に出会うのは当たり前。妊婦はラッシュアワーを避け、身体に負担のかかりにくい時間や場所を選んで外出するため、妊婦が多く出歩く時間帯ができる。

(2)興味や関心が変わった
自分が妊娠することにより、妊婦への興味関心が高まった。以前は見過ごしていた他の妊婦の存在に気づきやすくなった。

総意誤認効果:ある種の信念がどの程度人々に共有されているかを推定する際に、そうした信念を自分自身が持っていると、その推定が過大になりがちなこと。

認知的不協和理論:現実と自分の考えとが不協和を起こすような事態では、自分の考えの方を現実に合わせて変化させてしまう傾向を人間は持っている。

自己中心的思考:もともとは発達心理学者のピアジェが言った言葉。子どもに特徴的であるが、子どもに限らず、誰でも物事を自己中心的に見てしまうものである。(利己主義とは違う概念である点に注意)

唯我論:意識を持った存在は、この世に私一人であるという考え。バカげた考えではあるが、厳密にはこの仮説を否定する客観的な方法は存在しない。

1956年のドン・シーガル(Siegel.D.)の恐怖映画「ボディスナッチャー(The Invasion of the Body Snatchers)」の中では、小さな町の住民が一人また一人と自由意志を持たない完全な複製人間に変えられていく。そしてその複製人間は、地球外からの力によって操られるかのようになってしまうのだった。
しかし、ある人が自由意志を持っていないということを知るにはどうすればよいのだろうか?反対に、別の人は意思の担い手であるということを知るにはどうすればよいのだろうか?映画の主人公を悩ましたこの問題は、認知科学者にとってはさらに重大な問題である。もちろん、外からの刺激にまったく反応しないことなど、人が意識の担い手として行動していないということの明らかな手がかりはたくさんある。しかしだからといって、こうした手がかりがどれも見られないというだけで意識があることが証明されるわけではない。
私とあなた以外のすべての人間は、火星から来た意識を持たないロボットであるかもしれない(もっとも、あなたについては私にはあまり確かではない)。(ジョンソン・レアード「心のシミュレーション」第19章より)


ジョハリの窓(Johari's Window)どれが本当の私?














【教訓】
自分の正しいと思う意見は、自分が思うほど世間には受け入れられていないものである。
人間は、自分中心に物事を考えがちである。
世界は、私だけのためにあるのではない。